2017.04.17

「利と義」

三井 和典

 

中唐の時代の文人、柳宋元の「宋清伝」に薬屋宋清の逸話があります。

長安の西で商いをし、良い薬を置くので田舎からも沢山の客が訪れ、また都の医者もよく彼の薬を使い、病人もよく治った。彼はいつもにこやかに接客し、金のない者にも薬を与え、貸し売りもして証文も取っていたが催促にもいかず、果てはその証文まで年末には焼いてしまった。

周りの人は「無分別な人間」と評したり、あるいは「まさしく有道者」と称賛したりしたが、当の本人はこう答えた。

「自分は利を得て妻子を養っている人間だ。有道者でもなければ無分別な人間でもない。長く商いを行い、焚いた証文も山ほどあるが、その中には出世して後に贈り物を送ってくれる者もあれば、命拾いしてお礼をいうものもあった。そのおかげで年々収入も増え富裕になった。私は利し方が遠大なだけで、一度回収ができないからと怒り、二度回収できなければ喧嘩をするようなケチな商人とは違う。そんな浅はかな商売をしないだけだ。」

論語に「利によって行えば怨み多し」とあります。みんな利によって暮らしているが、利を求めることでかえって利を失い、利によって誤り、人から怨みを買うことになっているのは、「利の本質は義である」事を知らないからであると孔子は言っています。

資本主義社会は利己的、物質的、享楽的価値を育てました。人々は経済的・物質的生活すなわち利ばかりを求める考え方を養ってしまったのです。人の踏み行うべき正しい道である「義」を忘れた商いは、一見して二項対立する経済を止揚することができず、かえって負の資産を生み出します。精神的、道徳的努力の上に真の利は生み出されるのではないでしょうか?

理財論を著した山田方谷も「利は義の和である」と言っています。どうすることが正しいのか。原点に立ち返ることを痛感します。